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タルトゥ市ピンバッジ 商品紹介 タルトゥ市ピンバッジ ◆刻印:TARTU 【仕 様】安全ピン 【材 質】銅 【サイズ】幅:2.1×1.3cm ◆聖ヨハネ教会
※エストニア共和国の中で一番エストニアらしい町。 タルトゥは歴史の中で他国の支配下に入っていたため、ドイツ語、スウェーデン語、ポーランド語等で今とは違った名前で呼ばれていた。 第一次世界大戦後、エストニア臨時政府が独立宣言した後、エストニアのタルトゥとしで知られるようになった。 フィンランド内戦終結後の1920年10月、ソ連とフィンランドとの間で結ばれたタルトゥ条約もこの町で締結された。 しかし、1939年のナチスソビエト協定によりソ連は1940年にエストニアとタルトゥを占領した。 戦後、ソ連軍の空軍基地がタルトゥ郊外に建設されたためは外国人立ち入り禁止都市となった。 エストニアは1991年に独立を回復して以来、旧市街地の再建が進んでおり聖ヨハネ教会も、第二次世界大戦以来廃墟になっていたが修復された。 ◆修復されたタルトゥ大聖堂跡 ◆タルトゥ大学 ◆タルトゥ市位置 ※サイズは、おおよその値です。 ※商品の色合いは、撮影状況やお使いのパソコン環境等により、本来の色が伝わりにくい事がございます。 予めご承知おき下さい。
タルトゥ市ピンバッジ
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